三木 祐子

2014-02-01
『まよわないために』  text: 野口 卓海

「まよわないために」展初日から、会場にて配布しておりました当展ディレクター野口さんのテキストを公開いたします。ぜひご一読くださいませ。
こちらから内容を追補されたテキストが、あらためて当展会期の後半に発表される予定です。続編もぜひご期待ください。

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表現の地平が、もう既に荒野と成り果てていること。そして、その地平から大文字の目的地が失われていること。そういった絶望的な状況においてなお、現代美術の文脈の中で表現活動を続けている自分と同世代の作家達を眺めていた私は、彼らがその荒野をどのようにサヴァイブするのか、その方法にこそ興味があった。そして、作品や作家個人に付随する幾つもの「主題(あるいは”主題めいたもの”)」における相似・相違ではなく、その「方法」や「態度」にこそ私たちの世代が語りうる範囲が唯一残されているのではないか―。凡そそのような自分の仮説が実質的な空間の中で展開されたときに、どのような効果を発揮するのか確かめてみたい、という個人的な欲求をスタート地点としてこの展覧会の企画を行った。つまりはこの企画自体が、私にとっての「まよわないため」の一方法だったのかもしれない。

本展覧会の参加作家四組五名と企画者である私は、全員が1983年~1986年生まれである。この世代が思春期までに経験した幾つかの社会的動向として、湾岸戦争・阪神大震災・オウムの地下鉄サリン事件・同年代による幾つかの大きな少年犯罪が挙げられるだろうか。それらのニュースのほとんどを、子供だった私たちはテレビで目撃していた。因果関係や(一定の)事実を元に書き起こされた文章からではなく、インパクトを重視した、時に脈絡すらない短い映像の断片による共通した記憶。また、恐らく非常に重要な共通の体験として、PC・インターネット・携帯電話との距離感の変遷もあるだろう。私たちの世代は、それらがまだ全く普及していなかった生活も確かに体験したが、最も多感な中学生・高校生の時分にそれらが急速に(身体的にも)浸透していくさまを目撃・体感し、そしてそれらを「さも当然のこと」のように受け入れた唯一の世代だろう。世界がデジタルへと複製されていく過程も実感を伴って共有していたし、世界の上っ面に複製されたそのもう一つの「世界」が、急激な過度の圧縮でべこべことへこみ、ゆがみと自己修復を繰り返し絶えず蠢動している事も理解している。先に挙げた幾つかの社会的動向は、一方通行かつ単一のメディアから与えられた受動的で非常に強い影響という共通体験だったが、次に体験したテクノロジーの進化が「世界」の信憑性自体を個々人に問い直しはじめたわけだ。もしかすると、私たちはスキゾ化(分裂化)※1を強いられた初めての世代かもしれない。そして、それさえも呼吸するように「さも当然のこと」と受け入れたのだと思う。

表現の地平では、恐らくそういった社会情勢より前に荒野化が進み、集団で目指すべきような大いなる目的地は失われていた。美醜・善悪に代表されるような二項対立の大きな物語が次々と終わりを告げ、その後に訪れた再生産・再消費の延々たる反復のはじまりが80年代前半。マイク・ビドロに代表されるようなシミュレーショニズムも、最早90年代には古臭くなっていたはずだ。過去の偉大な「主題」たちの墓を暴いてまで手にした動向さえ、その加速度的に短くなる消費期限から逃れられず古くなってしまう現実。本テキストの焦点となる、今回私が取り上げた80年代生れの作家たちは、そういった美術史的な現実を思い知る中で、新旧といった常に二律背反する事柄・問題の重要度を無意識に引き下げているのかもしれない。これまでの現代美術の文脈では、常に「YES/NO」を突きつけられてきたような幾つもの主題※2に対して、常に一貫した答えを作品の中で用意しているわけではない。むしろ、それぞれの作品や活動の中で扱われる主題は変化し、時には一つの作品の中でさえ局所的に主題の焦点が動いている。

では次に、それらの具体的な発露の指摘を中心とし、各作家への簡単な接近を試みる。結束バンドによる立体作品が特徴的な國政聡志は、染織をその出自とし活動している美術作家である。國政の作品を簡略化して幾つかの要素に解体したならば、そこには確かに「染織」からの強い影響が見て取れるだろう。用いられる素材はしばしば染料で染められ、それらを規則的に反復させ形作っていく製作過程は、「織る」という行為の根源的な条件を私的に解釈した一つの結果だ。しかし、むしろ國政のスタイルは「染織」だけに留まらず、単純な素材や現象から物理的なエネルギーだけをそっと盗み出すような発想にこそ根幹が潜んでいる。ゆえに、今回のアクリル板を用いたインスタレーション「弧」のように、他の作品で扱っていた「染織」にまつわる幾つかの要素をオフにできるのだ。

今回唯一の平面作家である田中秀介の作品は、一見しただけでは「いわゆるオーソドックスな絵画」に分類されるかもしれない。しかし、画面の中で巻き起こっている幾つもの局所的な主題の変遷は、明らかに現代作家の振る舞いといえる。例えば、ある部分では物質的な表情をしている絵具が同一平面内で突如獲得する描画・リアリティ・イリュージョン、前景・後景・遠近法といった空間に対する態度※3、あるいは物語の有無―、そういった”絵画”という文脈が患ってきた多くの問題に対して、田中は個々の作品の中で取り上げる範囲を微妙に変化させながら、その一枚の絵に対する最良の対応を探している。一見しただけでは非常に重たい絵画のようでありながら、紐解いていくと少しコミカルな部分や一般化可能で共有しやすい言葉が次々と出てくる理由も、要所要所で表現の重心をずらし続けるような描き方の多様性が、豊かな軽やかさを生んでいるからに違いない。

また、「個々の作品に対して最良の対応を探す」というスタイルは、乃村拓郎の製作過程からも感じられる。乃村は様々な素材や技法からもアプローチを試みるため、よりそのスタイルが明確に表出しているだろうか。また、出自である彫刻を制作の根幹としながら、デザインや工芸の持つ作法・テクスチャーからの着想を柔軟に取り入れることで、上記のような素材・技法からのアプローチとは別の道筋も獲得している。また、そういった工芸・建築の道筋から取り込まれてきたであろう、しばしばたち現れる日本的なるイメージは、具体的な引用と言うよりもむしろ深沢直人が提唱していた「スーパーノーマル※4」を想起させるだろう。また、作家の恣意的で直接的な加工の痕跡よりも、素材や技法から既に与えられている表情を重視する乃村の姿勢は、展示する空間とその場の光―つまり「光景」全体を借りるような展示方法にも通底しているだろう。

コンサートを主な発表の場としている三木祐子+金崎亮太は、サウンドインスタレーションとして今回展示している。ピアノと電子音楽、身体性・質感・歴史といった非常に多くの相違がある二つの音による調和と異化は、めまぐるしくその関係が変化していくのが特徴的だ。調性や響きの価値、また二つの音の主従関係、楽音と雑音のバランスといった大切な要素が、会話のようにそれぞれ立場を移動させながら楽曲は展開していく。また、狭い展示空間の中で立体音響を体感するため、音から想起される広がりと現実空間との隔たりが、普段は視覚偏重の世界にあって忘れがちな「聴覚」のもつ情報の確かな量感を再認識させる。それは、彼らが定期的なコンサート「根底の響きを探って」で抵触している私たちの根源的な身体感覚を刺激するだろう。また、金崎が「人間の声」を電子音の素材としている事も、こういった身体感覚への介入を可能にしている大きな理由のひとつとして挙げておく。

さて、ここまで個々の作家への具体的な接近を試みたが、彼ら四組はそれぞれに全く違う技法・メディアを採用しているにも関わらず、作品へと至る道程には幾つかのリンクが見て取れた。大きな単一の問題に対する「YES/NO」だけではなく、局所的な「ON/OFF」の総体によって作品が成り立ち、そしてその個々のスイッチは作品毎に(触れるか触れないかさえ)切り替え可能だということ。強いられたスキゾ化さえも、いつしか「当然のこと」になっていた私たちの世代が、目的地の失われた荒野ですら絶望せずに少しずつ歩み続けるための、それが唯一の方法なのかもしれない。そして、個々のスイッチのつらなりや模様こそが、ヘンゼルとグレーテルが必死で落としたパンくずであり、現代美術の迷宮でまよわないためのアリアドネの糸なのだ。表現の地平が果てしなく「どこへでも行ける」なんて言葉は、もう全く必要ではなくなった。むしろ、私たちはそれぞれに「どこから来たのか」を時折確認し、その足跡自体を唯一の命綱としなければならない。大いなる目的地が失われた今、次のわずかな一歩にさえ躊躇いや戸惑いが生じるが、少なくとも現在地までたどり着いた足跡からは、明確ではなくともおぼろげな方角ぐらいは読み取れるのだから。

2014年1月11日 野口 卓海

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※1:このスキゾ化を強いたITの急激な変遷が、スキゾ・キッズをパラノ化する為の装置として浅田彰が「パラノ・ドライブ」と揶揄した「資本主義社会」自体が招いた結果であることも非常に興味深い。パラノ・ドライブが我々にスキゾ化を強いる世界は、果たして安定した球形を保つことが可能なのか。

※2:例えば、「絵画は物語を描くべきか」「イリュージョンの是非」「盗用・流用」といった現代美術の内部的な問題から、戦争・政治・性・労働といった社会問題まで。

※3:近作では空間のゆがみに伴って、時間のゆがみも異時同図法的に描かれている。日本美術の絵巻、漫画のコマ割、アニメーション、恐らくそういった分野からの影響もあるだろう。

※4:「そのものが落ち着くべきふさわしい形」。深沢が提唱した「スーパーノーマル」は、主に現代の日用品を射程としている。

 

2014-01-14
「まよわないため」に、まよい続けること

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ttk2年目最初の展覧会がスタートいたしました。

11日から会期が始まりました「まよわないために -not to stray-」、最初の1週目は大変たくさんの方々にお越しいただきました。幸先良いttk2年目のスタートが切れましたこと、心より御礼申し上げます。

当展はDirector’s Eyeシリーズということで、ttkとしましても2度目のグループ展となっております。野口卓海さんのディレクションの下、ttkの空間をメディアの異なる4組の作家が構成しておりますが、昨年のDirector’s Eyeの結城加代子さんによる「SLASH」展と比較してご覧になられる方が多いかと思います。

昨年の結城さんの企画は、Director’s Eyeのこけら落としでしたので、この形式の完成モデルを提示していただくことを狙いとしておりました。結城さんのように第一線で活躍するディレクターを招くという意図よりも、これから表舞台にどんどん立っていくべき若手ディレクター・キュレーターに経験を積んでもらうことが、Director’s Eyeの本来の目的としております。

野口さんは、パブリックな会場での企画経験は多数積み重ねていますが、ギャラリーのような展示に特化したスペースでの展示は初めてになります。さらに、「まよわないために」の企画趣旨のように、現代の美術の文脈に特化したアプローチで展覧会を企画することも初めてのことです。一定の実績はあるけれども、更にここttkでの企画と展示を通じて、不足している経験を積み重ねて、今後のディレクター活動の展開への足がかりにしていただきたいと思っております。

野口さんのディレクターとしての個性は、これまでも多くの同世代の作家に対して執筆してきた評論文にあると思い、展覧会のオープンにあわせて新たなテキストを書いてもらいました。こちらはttkのみで配布しておりますので、お越しになられた際にはぜひご一読いただければ幸いです。また会期後半から終了間際に向けても、もう一度書いていただくようにお願いしております。

当展の展示構成も、昨年の結城さんの展示と対照的に4組の作家がはっきりと空間を分けた配置となっております。個々の作家の本来の表現プラスアルファによる展示内容から、80年代半ば生まれの作家たちの常々の表現の中にある共通点や相違点を探り出すことが目的となっていますので、その狙いにおいては意図どおりの展示となっております。じっくりと各作家の個性を認識していただき、また今回は久々に展示が一番奥のベランダまで広がっておりますので、ttkの空間を行き来していただきながら、彼らがいまの時代を「まよわないために」探り続けているものを一つ一つ見極めていただければと思います。

今年2014年のttkのラインアップは、30歳未満のいわば若手の作家・ディレクターで大半を占めています。当展も含め今年のttkの企画は、昨年と違って多少の荒削りさが随所に見られる内容になるかと思います。お越しいただきご高覧いただいたみなさまからは、ぜひ屈託ないご意見ご感想を多数お聞かせいただきたく思っております。みなさまの直接的かつ率直なお言葉を通じて、彼らの今後の成長と展開をサポートしていただければ幸いに思います。

 

2014-01-11
Director’s Eye #2 野口 卓海  「まよわないために -not to stray-」

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・『続・まよわないために -continuation of ”not to stray”- 』  text: 野口 卓海

・「まよわないために」を振り返って

・「まよわないために -not to stray-」 展示風景

・「まよわないために」展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介

 

Director’s Eye #2 野口 卓海
「まよわないために -not to stray-」

2014年1月11日(土)〜3月2日(日)

開廊時間:毎週木曜〜日曜 12:00〜19:00

休廊日:毎週月曜〜水曜、1月19日(日)~26日(日)
会場:the three konohana

展覧会ディレクター:野口 卓海
出品作家:國政 聡志田中 秀介乃村 拓郎三木 祐子+金崎 亮太
デザイン:前田 大介

オープニングパーティー:1月11日(土)18時〜21時
トークショー:2月8日(土)18時〜19時

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the three konohana 2年目の最初を飾る展覧会は、Director’s eyeの第2弾となります。関西を拠点に展覧会やイベント企画、そして美術評論をおこなう、野口 卓海(Takumi Noguchi, b.1983)の企画によるグループ展「まよわないために -not to stray-」を開催いたします。

野口は、アート全般の企画を金崎 亮太と共に実施するユニット「Yoha Public」を結成し、関西の百貨店での展覧会や演奏会を多数開催してきました。また、個人の活動として、同世代の作家を中心に作家評論なども執筆しています。

今回野口にとっては、ギャラリースペースでの展覧会は初めてのディレクションとなります。同世代の80年代生まれの作家4組による構成のグループ展を通じて、世代に共通する価値観を提示することを目的としています。

Director’s Eyeの本来の目的は、展覧会を企画する専任ディレクターの育成とその役割の必要性を強調することです。自ら提示した主題を明確に反映させる展示を実現し、それを改めて深く言語化していくことを実践する場になればと思います。

国内における80年代生まれの人々は、感受性の強い子供の頃にオウムのサリン事件や酒鬼薔薇事件などセンセーショナルな出来事を目の当たりにして、独特の物事の解釈が随所に見られる世代だと認識しています。同世代のディレクターによる同世代の作家へのディレクションを通じて、その世代の典型的な価値観を明確に提示してくれることを期待しています。

the three konohana  山中 俊広

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【当展趣旨】

本展覧会は、そのタイトルが指し示す通り「まよわないために」企画されました。美術のみに関わらず、いわゆる“現代”を取り巻く目まぐるしい状況の只中で、私たちはそれぞれに戸惑い、断続的なつまづきに辟易しながら、にも関わらず“どこか”を目指し続けています。まるで幻想のような“単一の目的地”の存在を、未だに私たちは妄信しているのかもしれません。しかし、大いなる“目的地”が明らかに失われた現代で、私たちはまずそれぞれの個人的な“現在地”についてこそ考えるべきではないか―いや、むしろ“現在地”についてのみ、私たちは互いに語りえるのではないか―本展覧会は、大体そのような出発点から歩き出しています。

今回取り上げる四組の作家は、主題・技法・媒体などそれぞれに全く異なります。が、彼らには共通して或る強度―つまり、“現在地”と“その道程”への強いつながりが感じられます。なぜ彼らがその表現へと至ったのか、論理的にも感覚的にも接近できる道筋がいくつも残されており、そしてその道を辿るような行為そのものが深く豊かな鑑賞と体験を生み出します。どこから・どのようにして“現在地”へとたどり着いたのか、時折立ち止まって確認し、その自らの道程をより深く見つめること。それは、現代美術の迷宮で「まよわないために」彼らが獲得した姿勢とも呼べるでしょう。そして、この姿勢にこそ、現代の若手作家における同時代性が立ち現れているのです。

当展ディレクター 野口 卓海

 

2013-12-08
Director’s Eye #2 野口 卓海  「まよわないために -not to stray-」 2014年1月11日(土)~3月2日(日)

the three konohana、次回の展覧会のご案内です。

開廊2年目、2014年最初の展覧会はDirector’s Eyeシリーズの第2弾となります。
「Yoha Public」の一員として、関西を拠点に展覧会・イベント・演奏会の企画や、美術評論を展開している、野口 卓海(Takumi Noguchi, b.1983)のディレクションによる「まよわないために -not to stray-」を、来年1月11日(土)~3月2日(日)の会期にて開催いたします。
【当初1/10~とお知らせしておりましたが、変更いたしました。】

出品作家は國政 聡志、田中 秀介、乃村 拓郎、三木 祐子+金崎 亮太の4組によるグループ展形式です。

【詳しくはこちら】

 

2013-04-01
三木 祐子 + 金崎 亮太
Yuko Miki + Ryota Kanasaki
- artist -

mikikanasaki_profile

[主な公演・展覧会]
2012
・「根底の響きを探って」(京都芸術センター/’13)
・「“響”-ピアノと電子音響音楽のハーモニー-」Eiホール(大阪)

2013
・「HANKYU MEN’S 5 Artist Exhibition」阪急メンズ大阪

2014
・「まよわないために -not to stray-」 the three konohana(大阪)

 

・三木祐子(作曲家/ ピアニスト)
滋賀大学 教育学部 音楽教育コース 卒業、滋賀大学大学院 教育学研究科 修了。
これまでにピアノを坂弘子・浅井芳子・岡村加代子の各氏に、作曲を藤原嘉文・原田敬子・若林千春の各氏に師事。「現代音楽セミナー 秋吉台の夏」にて湯浅譲二氏のマスターコースを受講。
第16回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール作曲部門大学院・研究科の部最高位、第2回広島作曲コンクール入選、第6回大阪国際マンドリンコンクール作曲部門入賞。

 

・金崎 亮太(電子音響音楽家/Yoha Public)
大阪芸術大学 音楽学科 音楽工学コース 卒業。
人間にとって最も身近と言える音、“ヒトの声”を音素材として主に用い、コンピューターでの加工と研磨を経て音楽作品を制作。兵庫県立美術館にて2008年から2011年まで不定期にソロパフォーマンスおこなう他、祝丸(和太鼓/役者)、ヤン・ベッカー(演出家/照明)と共に舞台“三”を制作。また、企画ディレクターとして美術批評家の野口卓海とYoha Publicを立ち上げ、展覧会や演奏会の企画をおこなう。

 

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「Piano×Computer Electro Acoustic Concert “根底の響きを探って”」 2013 [会場:京都芸術センター]

 

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「“響”~ピアノと電子音響音楽のハーモニー~」 2012 [会場:Eiホール]