REVIEW
2013-08-03「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」を振り返って
ttk開廊2つ目の展覧会となりました「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」。
ttkの企画の3本柱のうち、作家ではなく専門ディレクターを招致しての企画「Director’s Eye」シリーズのこけら落としとして開催したものですが、ここにはディレクターの結城加代子さんの企画の意図が、ttkの現代美術に対する向き合い方と自然と合致した様を提示した内容となりました。
当展のタイトル「回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」の通り、この展覧会の最大の目的は、鑑賞者に対する展覧会における鑑賞態度への提言だったように思います。まず展示スペースに入ったときのここの作品の印象が強くないこと、どこからどこまで(何から何まで)が「作品」なのかどうか、一見意味深には感じられるがこの作品配置に何の意図があるのか。この展覧会で4人が作った世界観は、いかに直接的なアプローチを避けるかという点にあったと思います。空間全体を概観しただけでは、何かここにあるのかはさっぱり分からない。そのためには個々の作品へと視界を絞っていく。その中で3人の作家の個性やテーマを読み取り、この3人の表現をどのようにカテゴリー分けしていくか。そこにはもちろん唯一の答えがあるわけではありません。その答えのごとに空間内の地図は複数発生していきます。この展覧会は鑑賞者の数だけその答えがあるというアプローチの元に、計算されて作られたものでした。これから述べる内容は、あくまでも私個人が見て自分の頭の中で作った地図です。
まず、ホワイトキューブの展示から。この空間の展示が、まさにこれぞSLASHと言える作り方で出来上がったものです。作家3人の領域分けは明確だったものの、4人の意思疎通の中で明確に一つのコンセプトによる展示を作ろうと現場で苦心したものでした。この空間においては、作品に直接ベクトルが向く「かたちを認識する視覚」という、一般的な鑑賞で用いられる感覚に頼れない空間だったように思います。
藤田さんは、今回糸の作品を多用し、特に壁面2面を使った大規模なインスタレーションが印象に残っていると思いますが、実は糸の存在にその実態があるのではなく、糸が空間に差し込む太陽光に作用する、そのわずかな変化にその実態がありました。つまり、複数の糸の色が光や白い壁面、または糸同士が交わることで生じる色彩の変化は、糸そのものよりも、それに隣接する空気や空間に視点が向けられていきました。
小林さんは、素材に使った防災グッズよりも、そこに付与される彼女の詩の存在。作家の主観性が入るような手書きの文字ではなく、全て活字によってシートや切り文字として起こされた文字の集合体には、かたちについての意味性はなく、あくまでも文字による情報として、鑑賞者へ提示されていきました。各々の詩によって、防災グッズの意味性を解体するのは本来の小林さんの表現のコンセプトでもありました。
斎藤さんの2種類の映像は、彼自身の日常的な視点を断片的に切り刻み脈略を失くすかのようにつなげていくものですが、彼の映像で強調されるべきは「リズム」です。動画と静止画が切り替わるタイミングと個々の投影時間、そして映像にリンクされる時とされない時がある音声。視覚で受ける「像」はあくまでも「イメージ」に過ぎず、ここに彼の身体性を求めるならば、実体あるものは彼が編集という行為の中で恣意的に作り出した「リズム」に注目すべきなのです。
以上の各作家のアプローチから、当初の想定どおり多くの鑑賞者の方々がこの展示に戸惑ったわけです。視覚に頼らないこととしながらも、個々の作品は物質性を強調しており、視覚での認識へと誘導されざるを得ないものでもありました。しかし、視覚だけでは解答の導きには限界があり、まずは視覚以外の感覚からこのホワイトキューブの展示は読み取るべきであろうと思いました。
そして、奥の和室からベランダへと流れるもう一つの空間。個々の作品作りはホワイトキューブと同じでしたが、どちらかというと個人担当制で作られた展示でした。しかし、この空間に対する取り組みは、ホワイトキューブとは対極の有機的な「サイトスペシフィック」であったと思います。
前回の伊吹展での使い方から一変して、非常にシンプルな展示になりました。このシンプルさは、もちろんホワイトキューブの展示と共通するものですが、そもそも空間自体の意味やシステムが対照的なので、近い手法を取ってもその表現は大きく変化します。そんな展示手法を取って提示したものは、このttkの和室展示室の細部への誘導でした。和室内は、藤田さんと小林さんが照明に施したコラボレーション作品のみ。それによって、室内の畳や窓やふすまや天井に至るまで、鑑賞者の方の視線は和室空間全体へと大きく動くことになりました。前回の伊吹展よりも、お客さんの和室に対する反応が特に多かったことがその現われだと思います。
ベランダ手前の土間付近に藤田さんの小品が複数並んで強弱をつけた後には、最後のベランダでは、1階へ降りる階段に斎藤さんのミニシアターが登場しました。特に最後の斎藤さんのベランダの作品は、ホワイトキューブで流された映像とは異なり、比較的長回しの映像素材が中心で、音声も映像とリンクしているものが多い作品でした。つまり、このttkの和室空間は、かつての生活環境を想像させる実体感のある空間として、その実体あるものとは何かを確認するために、もう一度視覚に戻るというアプローチだったのではないでしょうか。
そもそも、この展示のコンセプトは「美術の展覧会を鑑賞することにおける、鑑賞者への態度の問いかけ」でしたが、その「視覚/見る」行為というものに焦点を当てるために、その周辺へと関心を誘導するものだったのではと思いました。もちろん「見る」ことが、ただ色やかたちを把握するだけではありません。しかし、どうしても答えを拙速に求めるあまりに、視覚以外の感覚をなおざりにしがちです。けれども、最終的には「視覚」は美術表現を読み取るためには必須の感覚です。そうした「道順」を鑑賞者が各自で見つけ出していく。その大切さを伝えようとした企画が、このttkで繰り広げられたSLASHだったのだと思います。
ttkの今後の企画でも、この結城さんたちが実践してくれたアプローチを意識して、鑑賞者の自発性をさらに喚起させる企画を作っていきたいと思います。
2013-08-03SLASH/09展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」展につきまして、各所にてプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。当展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・Lmaga.jp「小吹隆文のアート男塾-6月の10本ノック」(プレビュー/6月5日)
http://lmaga.jp/article.php?id=2234
・『美術手帖 7月号』 ART NAVI(プレビュー/6月17日)
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/6月19日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130619
・ブログ「亰雜物的野乘」(レビュー/7月18日)
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.jp/2013/07/directors-eye-1-slash09the-three-knohana.html
2013-06-29「此花メヂア」お別れの日
そういえば、このVOICEページにて、此花の町についてのお話をする機会がなかなか無かったのですが、明日に事実上の最後の日を迎える、「此花メヂア」について少しお話させていただきます。
すでにご存知の方も多いかと思いますが、今月をもちまして「此花メヂア」は閉鎖することとなりました。
ttkと同じ大通りに面していて、西九条駅から歩いてお越しの方は必ず前を通られていたと思います。伊吹展が開催されていた4月もメヂアでは展覧会が開催されていたので、中に入られた方もきっと多いかと思います。
最近は正面にわらしべ文庫の本棚が設置されたりして、メヂアの独特なファサードは、ttkにお越しいただいた多くのみなさんの印象にもきっと残っているかと思います。
私にとっての「此花メヂア」との初めて出会いは、初めて此花の地を訪れた2010年秋の「見っけ!このはな」でした。
その頃に此花で特殊なアートの動きをあるとの噂を聞いて伺ったのですが、メヂアの空間は実に衝撃的でした。
大きな地震が起きたらいつつぶれてもおかしくないくらいのオンボロさはもちろんのこと、複数の建物を強引につなげているためにメヂア内は完全に迷路状態。最初の印象として発した言葉が「まるで九龍城だ!」だったのは、今でもはっきりと記憶に残っています。
中に入れば入るほど方向感覚はどんどん麻痺させられ、出迎えてくれる多数の個性的な部屋がその都度私の脳内の物語を書き換えてくれる刺激と想像力にあふれた空間でした。そんなオンボロな建物にもかかわらず、床など各所はきれい掃除整理されていて、アヴァンギャルドなのに慎ましやかさも兼ね備えた環境として、私も一瞬でメヂアの魅力にはまってしまいました。私にとっての此花のイメージも、「此花メヂア」が原点でした。きっと多くの方々にとっても、「此花=メヂア」だったと思います。
ですが、近年はメヂアを利用するメンバーの入れ替えが目立ち、当初は共同アトリエとして機能していたメヂアも、アトリエとして使われる機会が少なくなるなど、メヂアの求心力が徐々に弱まっていたことは否めませんでした。代わりに、昨年からのOTONARIやモトタバコヤ、そしてこのttkもそうですが、此花の古い建物を活用するという点では同じであっても、そこに現代的なイメージの積極的な融合や、一定の明確な役割・目的を提示するスペースが続々と立ち上がり、明らかに此花のブランドイメージ(と呼んでもいいのでしょうか)は入れ代わってきております。
改めてこれまでを見直すと、此花はメヂア主導による狭義の「アート」が強かった町だったように思えます。独自性や個性を重んじる「アート」を看板に掲げて、良い意味での無秩序から新しい価値観が生み出される可能性を大いに提示して、いわゆる「オルタナティヴ」の代表格のようなイメージが発信されていたように感じます。一方で最近は、建築・デザイン・町という要素が台頭してきて、社会性を意識した秩序の下に各種活動が広まっているように思います。数年前に比べると、明らかに此花には多種多様な人々が集まってきています。受け皿がそれなりに大きく強固になってきた一方で、かつてのもっと荒々しくて自由奔放な此花のイメージは影を潜めたように見えます。ですが、常に変わらぬ価値観で継続していくことは、現代の社会システムの上ではほぼ不可能に近いです。今年から新参者として此花の町に加わった私としては、常にあらゆる価値観が流動的になっていく現代を生き抜くためには自然な選択だったのではと思います。秩序と無秩序、解体と構築、死と再生。常にそれらの間を行き来しながら、あらゆるものが成長し生き延びるのだと思います。私は明らかにメヂアの次の流れの側にいる人間ですので、この変化をプラス思考で受け入れるしかできません。
しかしながら、これまでの此花のアートを代表するのは間違いなく「此花メヂア」であり、此花のブランドイメージを各地に広めた一番の貢献者かつ象徴であることは疑いありません。
明日6月30日(日)17時より、【此花メヂア最後の日】としてオープンアトリエが開催されます。あの衝撃的な空間が見られるのも明日が最後です。お時間がありましたら、ぜひ最後のメヂアを見届けていただければと思います。
https://www.facebook.com/events/399048563537735/
2013-06-18「回路の折り方」ができるまで。そして、「道順」を見つけだすこと。
さて、先週よりttk2つ目の展覧会「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」が始まりました。今回の展覧会は、Director’s Eyeの第一弾として、東京で活躍目覚しい結城加代子さんをディレクターにお招きしての企画です。展覧会のタイトル、そして斬新なポスター型フライヤーからして、展覧会前からみなさんの興味を大変そそるものだったと思います。そして設営も、オープン5日前から作家のみなさんと共にttkのすぐご近所「モトタバコヤ」に順次宿泊して、まさにアーティスト・イン・レジデンスさながらの作業となりました。私にとっても自らのギャラリーの企画を他人にゆだねることだけにとどまらない、これら展覧会が出来上がるまでの過程、そして会期がスタートしてからも、今までに経験したことのない不思議な感覚に満ち溢れています。
設営の5日間で私が作業を見ていた中でとても興味深かったのが、結城さんと3人の作家さんとのコミュニケーションの作り方でした。結城さんがその都度作家さんに指示してリーダーシップの下で出来上がっていくというかたちではありませんでした。結城さんは、多くの時間を一人で奥の和室に入ってのパソコン作業に費やし、たまに作家さんたちが作業をしているメインスペースに入って、これも明確な指示をするというよりは作家さんに意見を聞いたり、ただコミュニケーションをとるということに徹していたように思いました。設営が始まるまで東京で幾度と重ねたミーティングでは、基本的にはお互いがコミュニケーションをとってお互いの考え方を共有できる関係性の構築に徹していたようです。結城さんの指示に一極集中するのではなく、作家同士がお互いを尊重しながら自らも主張する、そんな平等な関係性を準備段階で重要視して築いてきたようです。そのため、結城さんの合流は設営3日目からでしたが、それまでの2日間は作家さん3人が何度も相談しながら積極的に何種類も展示のバリエーションをシミュレーションして、それを踏まえて3日目からの結城さんとのディスカッションという流れで、少しずつ丁寧に展示を積み上げていきました。この綿密なコミュニケーションの跡は、特にホワイトキューブの展示構成に如実に現れています。
会期も前半戦なので、私からの展示内容についての解説はまだ控えたいと思います。特にこの展示は、まずギャラリーに入ったときの鑑賞の態度からがこの企画のポイントです。きっと大半の方が、混乱・困惑の印象から鑑賞が始まると思います。またどの作品もさらっと見ただけでは全体をつかむのは非常に難しく、まずミクロの視点で見てようやく一つの作品が見えてくるようなものです。それから展示空間全体を腑監視するマクロの視点から、それぞれの作品との関連性を見ていくのですが、共通点があったり時には分断するものがあったりと、まさに展覧会タイトルの通り「回路」が折られています。そして、見る側の理性と感性を駆使することで「あとでわかる道順」が少しずつ浮かび上がってくる、そんな仕掛けがふんだんに仕組まれている展覧会です。といっても、これもあくまでも鑑賞のバリエーションの一つに過ぎないと思います。現場にずっといる私だから言えますが、本当に一筋縄ではいかない複雑な「回路」です(笑)。
前回の伊吹展から何度もお伝えしていますが、ttkの展覧会会期は1ヵ月半。今回も1度のご来廊だけではなく、何度も足を運んでいただいて「回路」と「道順」を見つけていただきたい展覧会です。結城さんのテキストの最後に書かれています「私たちには平等に一定の時間が与えられていながら、体験や経験によって、感じることのできる時間は伸び縮みしてしまう」は、複数回ご覧いただかないとむしろ当展の趣旨は見えませんよという、ある意味結城さんの挑発的な(笑)コメントと解釈しております。
今回も1ヵ月半かけて、じっくりと展覧会の本質を読み取っていくことになりそうです。ぜひ私自身も、お越しいただいたみなさまと展示を前にして対話を重ねて、結城さん、小林さん、斎藤さん、藤田さんによる複雑な「回路」と「道順」を見つけ出していきたいと思っております。
ttk第2弾の展覧会もくれぐれもお見逃し無く!みなさまのお越しを心よりお待ちしております!!
2013-05-21伊吹 拓 展「“ただなか”にいること」 展示記録
撮影日:2013年5月3日 撮影:長谷川 朋也
2013-05-20ttk開廊および伊吹拓展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
ttkの開廊と伊吹拓展につきまして、各所にて多くのプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。ttkおよび伊吹展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・Lmaga.jp「小吹隆文が選ぶ2月のスペシャル展覧会」(プレビュー/2月19日)
http://lmaga.jp/article.php?id=2055
・CNTR「the three konohana オープン」(プレビュー/3月13日)
http://cntr.jp/news/the-three-konohana/
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/3月16日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130316
・『美術手帖』4月号 ART NAVI(プレビュー/3月18日)
・『GALLERY 4月号』「NEW GALLERY特集(P.101)」(プレビュー/4月1日)
・ブログ「アートのある暮らし allier style」(レビュー/4月6日)
http://allierstyle.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
・ブログ「よしもと芸人 おかけんた・ブログ」(レビュー/5月1日)
http://nicevoice.laff.jp/blog/2013/05/post-64bb.html
・『美樂舎 会報第258号』「丹伸巨のコレクター日記」(レビュー/5月7日)
美樂舎HP:http://bigakusya.com/
2013-05-16伊吹拓展を振り返って
まず、この伊吹拓展はttk最初の展覧会であること。今後ttkが認知されていくにつれて、この展覧会によってギャラリーのイメージの半分は確実に形成されていく、ただの1回目では止まらない非常に重要なものでした。そして、伊吹さんにとっても、本格的に当展の出品作品を制作し始めた時期にギャラリー空間が出来上がっていないという(最終的には作品搬入の当日に引き渡し完了)、あくまでもギャラリー空間の完成予想のイメージのみで作品の構成を考えなければならなかった稀有な状況の中で完成した展覧会でした。
伊吹さんにとっては、こういう特殊な環境の中で、自分自身のこれまで積み重ねてきた表現から次への新たな展開を見せようと意気込んでいただき、それが明確な形となって当展の展示構成に現れたと、私自身強く自負しております。これまで感性による世界観を抽象絵画というフォーマットに描き続けてきた伊吹さんでしたが、今回は特にホワイトキューブのスペースに並んだ3点の横長の大作と、メインイメージになった100号スクエアの作品に、次の展開を示唆させる表現がはっきりと見られました。
それは明確な意識を持って画面上に刻まれた強い筆致と、画面に押し込められた数多くの要素たち。筆致の強弱、多様な色彩、かたち、更には表面上のマチエールと、これまでの伊吹さんの作品には無かった、膨大な情報量としてのディティールでもって画面上を埋め尽くすことを意図した作品群が提示されました。
これら当展のメインというべき4作品の特徴は、これまでの伊吹さんの作品に頻繁に見られた心象的とされるイメージや空間的表現ともいえる描写から、いかに絵画、画面というプリミティブな概念に向き合っていくかという、彼の強い意志が垣間見られるものでした。解釈によっては、これまでの鑑賞者が介入する余地の大きかった画面から、自分自身の世界へ没入していくような様もあり、時には鑑賞者をも突き放すかのような冷たさも感じられました。更に、彼の自発的なストロークや数々のディティールを過剰なほどに画面上に入れ込むことによって、逆にオールオーヴァーなイメージは影を潜めて、限られた画面上でいかに自らの多様な要素をコンポジションしていくかが、伊吹さんの今回の大きな目的であり成果だったように思えます。
そのプロセスが概念的に伝わるという点で効果的だったものが、奥の和室にあったワーク・イン・プログレスの作品でした。6畳の和室に仰向けに置いた巨大なキャンバスに、最終的に会期中4回の重ね塗りをおこない、実際の作品が出来上がるプロセスを垣間見せるものでした。しかしながら、この試みは公開制作としてはおこなわず、お客さんが帰られた夜に加筆はおこなわれ、油の匂いが充満し表面が全く乾いていないみずみずしい画面が、翌日に突然現れるという状況を幾度と見せることになりました。行為としてのプロセスが決して具体的な様では見られない、あくまでも鑑賞者の想像の中で新しい画面が塗り重ねられることによって、鑑賞者の関心はより画面の方に集中し、油が乾いていく時間経過の中で細部が徐々に形成されていく感覚にも、絵画としての純粋なプロセスが強調されていくものとなりました。更にこの作品には、伊吹さんがこの1ヶ月半の会期の中で此花の町の雰囲気に触れ、その印象が自然に作品へと反映されていった、サイトスペシフィックな要素が予想以上に強かったこともここに書き加えておきます。
改めましてこの伊吹展では、伊吹さん自身の「絵画」そのものへの意識の強まりと共に、ttkとしましても、現代の絵画における本質というものに、私自身を含めて多くの方々への関心の誘導とその必要性を訴え、それらが明確に打ち出せた内容となったと思います。当展のテキストにも書かせていただきましたが、「あえて絵画そのものの概念や本質についてじっくりと考える機会になれば」の通りに、お越しいただいた方々からもそのような機会となったとの声を多数いただきました。ホワイトキューブと和室、二つの展示室の対比から、画面上に具体的なイメージが存在しない本来の「抽象絵画」としての存在をより一層強調させることで、純粋な絵画性を多くの方々に強く印象付けることができ、伊吹さんの従来からのイメージの転換にも、そしてttkのブランドイメージの創出にも意義のある展覧会であったと思います。
最後になりましたが、ttk最初の展覧会として、大変多くのみなさまにご来廊いただきましたこと、心より感謝申し上げます。そして、これからの伊吹さんの更なる展開にもぜひご期待ください。
2013-04-11「伊吹拓展」会期折り返しです!
先月15日のオープン以来、続々と多くのみなさんにギャラリーへお越しいただき、まことにありがとうございます。ttkの売りの一つである、展覧会の会期1ヵ月半もちょうど折り返しを迎えようとしています。1ヵ月半という会期に設定している理由は、お見逃しの無いようにということ、そして展示や作品、作家の世界観をみなさんの心により深く刻んでもらうために、会期中に複数回ご覧いただきたいという狙いがあります。
まだお越しになられていない方も、すでに各所で知られていると思いますが、ttkには2つの展示室があります。約37㎡のホワイトキューブの展示室には、この規模には珍しい約10mの長いまっ平らな壁面があります。そして、私のデスクの後ろをくぐると、まさに此花梅香地区の生活単位とも言える、6畳一間の和室があります。まさに対極にあると言える二つの展示空間を、自らの表現のためにいかに効果的に使いこなすか。これは、今後ここで展覧会を作っていく作家やディレクターにとっては高いハードルであり、展示をすること企画をすることにおいては大きな醍醐味だと思います。
そんなttkの空間で最初の展示をおこなった伊吹さん。ttkのオープニングを飾るタイミングが彼の様々な要素と交じり合って、明らかにこれまでの作風からの新たな展開を垣間見られる内容となっております。これからギャラリーにお越しいただく方には、ここで話すとネタばれになってしまうのでほどほどにしておきますが(笑)、特にホワイトキューブの展示室の10mの壁面に並ぶ大作たちは見ごたえ十分です!階段を上がり終えた瞬間に、この荘厳な大画面がみなさまを出迎えてくれます。伊吹さんの「絵画」そのものに対する意識の強まりを、ここでしっかりと感じていただければと思います。
そして、奥にある和室の展示室にあるWork in Progressの作品も、昨日2度目の加筆が加えられて、新たな画面に塗り替えられました。2週間前の加筆よりもかなり大規模なものとなって、前回前々回の画面の面影は全く見られないほどになっております。そして、加筆の度に起きることですが、油絵具の匂いはスペース全体に充満しております(笑)。
この作品の見どころは、絶対に日中だと私は思います。南向きのベランダの窓から差し込む陽光が、伊吹さんのみずみずしい画面に触れると…。この作品が提示する絵画としての意識は、ある意味ホワイトキューブに展示している作品とは対照的なものです。
自発的かつ積極的なアプローチと、他者や偶然性に委ねるアプローチ。この絵画そのものに対する両極の概念の「ただなか」にいる感覚を、ぜひ当展の展示空間の中で直接触れていただきたく思います。会期もあと4週間余り、展示空間に変化が生じる余地がまだ随所にあります。引き続きみなさんのお越しをお待ちしております!
2013-03-27「このはなのただなか」 伊吹 拓
ここはどこで、あなたはどうして絵の前に立ち、なにがココロに映る。
2013年の春、此花で絵を展示し、たくさんの人に観てもらっています
中途半端とはまた違う、易さと難さの間をさまよう土地。
でもそこに集う人たちは自然と笑顔で、自分に与えられた長い時間の中の“ただなか”に
チャンスを感じている。
the three konohanaが閉まる時間になると、今日は今からどう過ごそうか?
もうふたつの銭湯で疲れをとるどころか意気を溜め込み、OTON△RIでおいしいゴハンを食べる。
おいしいのはゴハンだけじゃなく、ひとがおいしい。
これから花が咲き、陽気に包まれる普段どおりの春が広がる。たまには絵を描くこともあるけれど、
ここに流れる普段どおりの春をめいっぱい楽しむことが楽しみ。
2013-03-24「ボーダーレスのゆくえ」展、なんばパークスで開催中!
本来であれば、伊吹展からご紹介すべきなのですが、こちらの企画が先に終了しますので順番が逆ですが…。
21日よりなんばパークスの7Fパークスホールにて、「ボーダーレスのゆくえ」展を開催しております。こちらは私、山中のインディペンデント・キュレーターとしての企画になります。
私の母校(私は大学院のみです)の大阪芸術大学出身で、現代美術のフィールドで一定の評価を得て活動している作家を紹介する企画として、昨年の「リアリティとの戯れ」からシリーズ化していく方向で進めている展覧会の2回目です。昨年は30歳前後のアニメや漫画に一定の影響を受けている具象作家に焦点を絞りましたが、今年は対照的に20代半ばから40代前半までの幅広い世代で、表現媒体も多種多様な作家で構成しております。
キーワードは「ボーダーレス」。近年、アートの領域のみならず社会の様々な領域で「ボーダーレス」的思想が蔓延していますが、私はそこに強い疑問を持っていました。現在の社会情勢に大きく影響されていることではありますが、一つの物事に対して深く探究する意識や体力がないから、自らを表面的に大きく見せるだけのために周辺領域を巻き込んでいるのではないだろうかと。そういう疑問を投げかけるために、学生時代に在籍し学んでいた領域から距離を置いたりまたは越境することで自らの表現スタイルを見出して、現在では各所で一定の評価を得ている作家たちをセレクトした展覧会といたしました。
こちらttkの伊吹さんの企画にも、その意図は繋がっております。ギャラリーのオープニングを飾る作家のセレクトは、巷でのギャラリーのイメージがそこではっきりと形成されていくものなので、とても慎重におこなっておりました。今の「現代アート」的な作家をするのではなく、この「ボーダーレス」の再検討のために、あえて従来からある領域に固執しながらも次の進展へとあくなき追求を続ける「抽象表現のペインター」の伊吹さんをセレクトしたのです。一見伊吹展とボーダーレス展は対照的な企画のように見えますが、自らの表現とルーツの立ち位置についてきちんと整理しながら実践している作家を一貫して選んでおりますので、私にとっては同じ評価軸の中にある両企画です。
伊吹展はまだまだGWまで開催しておりますが、「ボーダーレスのゆくえ」は来週日曜日31日までです。また明日日曜日には、美術ライター小吹隆文さんとのトークショーもございます。伊吹展と共に、「ボーダーレスのゆくえ」もぜひお見逃しなく!!