レビュー
2013-12-27岡本 啓 展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
岡本 啓 展「Visible≡Invisible」につきまして、各所にてプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。当展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・『美術手帖 12月号』 ARTNAVI(プレビュー/11月17日)
・「よしもと芸人 おかけんたブログ」(レビュー/11月29日)
http://nicevoice.laff.jp/blog/2013/11/post-3c1a.html
・『ホッと!HANSHIN 12月号』 「駅前探訪」千鳥橋駅編(プレビュー/12月1日)
http://www.hanshin.co.jp/area/ekimaetanbou/index.html
・Lmaga.jp「小吹隆文のアート男塾-12月の10本ノック」(レビュー/12月4日)
http://lmaga.jp/article.php?id=2571
・ブログ「アートのある暮らし allier style」(レビュー/12月11日)
http://allierstyle.blog.fc2.com/blog-entry-178.html
・毎日新聞 関西版夕刊 文化面(レビュー/12月18日)
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/12月26日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20131226/art
2013-12-12加賀城 健 展を振り返って
ttkでは3つ目の展覧会となりました、加賀城 健 展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」。たくさんの要素がふんだんに盛り込まれた展示となりました。そんな中で加賀城さんが訴えたことは、複雑に入り組んだ作品と空間構成による網の中に理路整然と編み込まれていました。加賀城さん自身にとりましても、今回の個展がこれまでの作家活動において大きな転換点となったことは明らかです。当展では特筆したいポイントが数多くありましたが、加賀城さんの表現を語る上で決して無視できない、「現代の工芸と美術の関係性」と「空間との向き合い方」、以上2つのポイントにあえて絞って言及していきたいと思います。

まず、今回の趣旨文で強調しておりました、現代の工芸と美術の関係について。近年、工芸の領域が現代美術の領域に積極的に参入している状況において、多くの例が美術のフォーマットに沿った作品を作ることによって、その領域横断を正当化している状況は明らかです。加賀城さん自身も、ここ数年は絵画のレイヤー(重層)をテーマとした発表を続けていました。しかし、今回の加賀城さんの出品作品には、過去にはほとんど例のなかった実用性を加味したものが現れました。浴衣の反物、屏風、そしてカーテン。本来であれば、工芸の典型である実用性を示すことは、美術作品の位置づけと対極にありますが、加賀城さんは「工芸/染色」そのものをコンセプトとし、それから浮かび上がってくる要素を取り上げることで、造形や表現における思想を現代美術との比較を通じて提示するという手法へと展開しました。
染色のフォーマットを分かりやすく見ると、染料と布の2つの素材の接触によって生じる反応現象と捉えることができます。しかし、染色の技法には、型染、ろう染、絞り染など、多種多様な技法があります。また布についても、同じ綿布であっても布の織り方や厚さによって、バリエーションは同じく多様です。これら両者の組み合わせによって、染色そのものの表現の広がりは無限にあるのです。今回の出品作品は、染色の領域の深さを提示するためにテクニックの組み合わせを絞らずに、あえて技法と素材の組み合わせを多数提示する内容としました。加賀城さんが初めて作品に使用した染色技法も見られました。さらに、ここ数年の作品の傾向であった、バインダーなどを使って分かりやすく布上にレイヤーを生み出す表現ではなく、染料や顔料を布に原則的に染みこませることで正当な平面性を実現する作品によって、より染色らしさを前面に押し出した内容となりました。

2つ目のポイントは、加賀城さんの空間への向き合い方です。美術のカテゴリーではインスタレーションという言葉がふさわしいですが、空間と作品の関係性を多角的により深く表現できたのが、今回の展示だったと思います。
まず、染色と空間の関係性について。二次元が前提となる染色の素材を用いて、三次元性を鑑賞者に提示するために加賀城さんが強調したのは、布の質感と可変性です。ホワイトキューブの展示で象徴的だったのは、2面の壁を横断した浴衣の反物《Line》と、空間の中央に配置した屏風型の作品《たとえば千年の森の王子》の2作品の対比です。
これら染色した大きな布をピンで壁打ちするスタイルは、加賀城さんにとってはスタンダードな展示方法ですが、壁打ちの方法だけでも相反した意味がありました。仕立てられて実用性を持った時には、体にやわらかく触れることになるはずの浴衣の反物《Line》は、一定のテンションとリズムを布に与えて壁面に張られました。従来はやわらかい印象を与えるはずの反物で、ここでは対極の硬質なイメージを提示しました。一方で、屏風型の《たとえば千年の森の王子》は、テンションをかけずに木枠に打ち付けることで、人が近くを通るとさざなみのように表面が動く現象を意識的に作り出しました。さらには、表裏に違う染め方をした布を張りつけて、両方向から奥側の布の模様が透ける現象も提示しました。つまり、布の質感を通じて鑑賞者に布のフレキシブルな特性を感じさせることで、鑑賞者に三次元の感覚を与えることになるのです。ただし、このホワイトキューブではあくまでも想像の中での三次元に気がつくという仕組みです。


二次元と三次元の行き来が、より明確な体験を伴って実感を得られるものになったのが、和室の壁面4面を全て染色したカーテンで囲った《コスモス》でした。
鑑賞者は、和室内に入って色鮮やかなカーテンの中に囲まれて、染色に包まれるような体験を得ます。さらに、奥のベランダから入り込む風がカーテンの裾を不規則に揺らし、カーテン地の薄さによって外光を透過し、カーテン奥にある窓や扉が透けて見えることで、いわば二次元の布が三次元的な周囲の環境を包含していることに気が付くのです。物理的に染色は二次元ですが、実用的には人の手や体に触れることが前提とされているものであり、その触感を想像することによって三次元へ意識が移行していきます。染色には素材の可変性という特性に加えて、人間の視覚と触覚の接触によって他の素材技法よりも容易に次元を横断できることが、染色ならではの特性だと言えるでしょう。ここに、現代美術の領域でも論じるべきテーマが横たわっています。


また、もう一つ加賀城さんの空間への意識的な関与として、これは彼の「インスタレーション」における哲学の典型である、いかに展示する環境を分析してそれを受け止めるかという点が、全ての展示で一貫していたテーマであったともいえます。
ttkに展示空間はホワイトキューブの大きな窓と、南向きの和室、ともに自然光が容易に空間に入りこむ環境です。つまりは、時間の移り変わりによって、空間内の明るさが大きく変化するttkの展示空間の特徴を読み取り、昼夜で作品の表情を変え、それぞれに意味と世界観を与える内容にしました。前述の和室の《コスモス》でも、南向きの日差しによって布が透けて空間の広がりを提示する日中とは対照的に、夕方から夜になると日光による透過が無くなり、布本来の色が強調されることで、ますます布に囲まれるような感覚を得ます。
もう一つの自然光を活かした作品が、ホワイトキューブの大きな窓の模様部分に擦り込んだグリッター(ラメ)入りの糊によるインスタレーション《情緒》でした。昼間は、窓の模様そのものが強調されて、糊のレンズ効果で少し外の風景の色が浮かび上がる状況を生み出し、夜になるとグリッターが内と外の明度の差によって全体的に光を放つという対照的な世界を作り出しました。

これらの表現の元となっているのは、やはり染色の特性をしっかりと把握していること、加えて展示空間に隠されている物質的および時間的要素への配慮によるものです。美術という概念、展示という行為を通じて、非日常的な世界を作り出すという使命もありつつ、日常にありふれたものへの気付きから得られる想定外の発見も、共に現代美術がいまの私たちの社会や暮らしに与える一つの大きな役割だということだと思います。そのことを加賀城さんは強く意識して、自らの表現と作品でもって空間に立ち向かった痕跡が、この「ヴァリアブル・コスモス」であったのではないでしょうか。
最後に、加賀城さんの本質にあるものは、やはり「工芸/染色」という枠組みです。もちろんその枠組みの中でしか成立しないものや、枠組みを無視したただ奇抜なものを提示するだけでは、表現としての強度は生まれ出ません。個々の表現や提示のルーツが何であるかを明確にして、ミクロとマクロの視点を散りばめながら、より大きく深い世界観を提示することにより、正当な越境的な表現が成立するものだと思います。分かりやすく加賀城さんの思考をまとめれば、インプットは「素材と技法=工芸」、アウトプットは「展示=美術」と言えるでしょう。双方のベクトルの関係性と両者をつなげる論理性を突き詰めていくことこそが、現代の日本の工芸と美術の理想的な関係性を構築できる契機になるのではないでしょうか。
2013-10-31加賀城 健 展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」 展示記録
撮影日:2013年10月17日 撮影:長谷川 朋也
















2013-10-31加賀城 健 展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
加賀城 健 展「ヴァリアブル・コスモス|Variable cosmos」につきまして、各所にてプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。当展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・『美術手帖 9月号』 ARTNAVI(プレビュー/8月17日)
・『GALLERY 9月号』「今月の展覧会50+」(プレビュー/9月1日)
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/9月7日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130907
・毎日新聞 関西版 文化面「アートのトリセツ」(レビュー/9月25日夕刊)
http://mainichi.jp/feature/news/20130925ddf012040019000c.html
・artscape 「artscape レビュー」(レビュー/10月1日)
http://artscape.jp/report/review/10091726_1735.html
・日本経済新聞 関西版 美術・伝統芸能ガイド(プレビュー/10月5日夕刊)
2013-08-12「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」 展示記録
撮影日:2013年7月18日 撮影:長谷川 朋也
















2013-08-03「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」を振り返って
ttk開廊2つ目の展覧会となりました「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」。
ttkの企画の3本柱のうち、作家ではなく専門ディレクターを招致しての企画「Director’s Eye」シリーズのこけら落としとして開催したものですが、ここにはディレクターの結城加代子さんの企画の意図が、ttkの現代美術に対する向き合い方と自然と合致した様を提示した内容となりました。
当展のタイトル「回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」の通り、この展覧会の最大の目的は、鑑賞者に対する展覧会における鑑賞態度への提言だったように思います。まず展示スペースに入ったときのここの作品の印象が強くないこと、どこからどこまで(何から何まで)が「作品」なのかどうか、一見意味深には感じられるがこの作品配置に何の意図があるのか。この展覧会で4人が作った世界観は、いかに直接的なアプローチを避けるかという点にあったと思います。空間全体を概観しただけでは、何かここにあるのかはさっぱり分からない。そのためには個々の作品へと視界を絞っていく。その中で3人の作家の個性やテーマを読み取り、この3人の表現をどのようにカテゴリー分けしていくか。そこにはもちろん唯一の答えがあるわけではありません。その答えのごとに空間内の地図は複数発生していきます。この展覧会は鑑賞者の数だけその答えがあるというアプローチの元に、計算されて作られたものでした。これから述べる内容は、あくまでも私個人が見て自分の頭の中で作った地図です。

まず、ホワイトキューブの展示から。この空間の展示が、まさにこれぞSLASHと言える作り方で出来上がったものです。作家3人の領域分けは明確だったものの、4人の意思疎通の中で明確に一つのコンセプトによる展示を作ろうと現場で苦心したものでした。この空間においては、作品に直接ベクトルが向く「かたちを認識する視覚」という、一般的な鑑賞で用いられる感覚に頼れない空間だったように思います。
藤田さんは、今回糸の作品を多用し、特に壁面2面を使った大規模なインスタレーションが印象に残っていると思いますが、実は糸の存在にその実態があるのではなく、糸が空間に差し込む太陽光に作用する、そのわずかな変化にその実態がありました。つまり、複数の糸の色が光や白い壁面、または糸同士が交わることで生じる色彩の変化は、糸そのものよりも、それに隣接する空気や空間に視点が向けられていきました。
小林さんは、素材に使った防災グッズよりも、そこに付与される彼女の詩の存在。作家の主観性が入るような手書きの文字ではなく、全て活字によってシートや切り文字として起こされた文字の集合体には、かたちについての意味性はなく、あくまでも文字による情報として、鑑賞者へ提示されていきました。各々の詩によって、防災グッズの意味性を解体するのは本来の小林さんの表現のコンセプトでもありました。
斎藤さんの2種類の映像は、彼自身の日常的な視点を断片的に切り刻み脈略を失くすかのようにつなげていくものですが、彼の映像で強調されるべきは「リズム」です。動画と静止画が切り替わるタイミングと個々の投影時間、そして映像にリンクされる時とされない時がある音声。視覚で受ける「像」はあくまでも「イメージ」に過ぎず、ここに彼の身体性を求めるならば、実体あるものは彼が編集という行為の中で恣意的に作り出した「リズム」に注目すべきなのです。
以上の各作家のアプローチから、当初の想定どおり多くの鑑賞者の方々がこの展示に戸惑ったわけです。視覚に頼らないこととしながらも、個々の作品は物質性を強調しており、視覚での認識へと誘導されざるを得ないものでもありました。しかし、視覚だけでは解答の導きには限界があり、まずは視覚以外の感覚からこのホワイトキューブの展示は読み取るべきであろうと思いました。

そして、奥の和室からベランダへと流れるもう一つの空間。個々の作品作りはホワイトキューブと同じでしたが、どちらかというと個人担当制で作られた展示でした。しかし、この空間に対する取り組みは、ホワイトキューブとは対極の有機的な「サイトスペシフィック」であったと思います。
前回の伊吹展での使い方から一変して、非常にシンプルな展示になりました。このシンプルさは、もちろんホワイトキューブの展示と共通するものですが、そもそも空間自体の意味やシステムが対照的なので、近い手法を取ってもその表現は大きく変化します。そんな展示手法を取って提示したものは、このttkの和室展示室の細部への誘導でした。和室内は、藤田さんと小林さんが照明に施したコラボレーション作品のみ。それによって、室内の畳や窓やふすまや天井に至るまで、鑑賞者の方の視線は和室空間全体へと大きく動くことになりました。前回の伊吹展よりも、お客さんの和室に対する反応が特に多かったことがその現われだと思います。
ベランダ手前の土間付近に藤田さんの小品が複数並んで強弱をつけた後には、最後のベランダでは、1階へ降りる階段に斎藤さんのミニシアターが登場しました。特に最後の斎藤さんのベランダの作品は、ホワイトキューブで流された映像とは異なり、比較的長回しの映像素材が中心で、音声も映像とリンクしているものが多い作品でした。つまり、このttkの和室空間は、かつての生活環境を想像させる実体感のある空間として、その実体あるものとは何かを確認するために、もう一度視覚に戻るというアプローチだったのではないでしょうか。

そもそも、この展示のコンセプトは「美術の展覧会を鑑賞することにおける、鑑賞者への態度の問いかけ」でしたが、その「視覚/見る」行為というものに焦点を当てるために、その周辺へと関心を誘導するものだったのではと思いました。もちろん「見る」ことが、ただ色やかたちを把握するだけではありません。しかし、どうしても答えを拙速に求めるあまりに、視覚以外の感覚をなおざりにしがちです。けれども、最終的には「視覚」は美術表現を読み取るためには必須の感覚です。そうした「道順」を鑑賞者が各自で見つけ出していく。その大切さを伝えようとした企画が、このttkで繰り広げられたSLASHだったのだと思います。
ttkの今後の企画でも、この結城さんたちが実践してくれたアプローチを意識して、鑑賞者の自発性をさらに喚起させる企画を作っていきたいと思います。
2013-08-03SLASH/09展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」展につきまして、各所にてプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。当展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・Lmaga.jp「小吹隆文のアート男塾-6月の10本ノック」(プレビュー/6月5日)
http://lmaga.jp/article.php?id=2234
・『美術手帖 7月号』 ART NAVI(プレビュー/6月17日)
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/6月19日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130619
・ブログ「亰雜物的野乘」(レビュー/7月18日)
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.jp/2013/07/directors-eye-1-slash09the-three-knohana.html
2013-05-21伊吹 拓 展「“ただなか”にいること」 展示記録
撮影日:2013年5月3日 撮影:長谷川 朋也
















2013-05-20ttk開廊および伊吹拓展に関する、掲載プレビュー・レビューのご紹介
ttkの開廊と伊吹拓展につきまして、各所にて多くのプレビュー・レビューをご掲載いただきました。
主だったご掲載記事を以下にまとめてご紹介させていただきます。ttkおよび伊吹展をご紹介くださったみなさまに、心より御礼申し上げます。
・Lmaga.jp「小吹隆文が選ぶ2月のスペシャル展覧会」(プレビュー/2月19日)
http://lmaga.jp/article.php?id=2055
・CNTR「the three konohana オープン」(プレビュー/3月13日)
http://cntr.jp/news/the-three-konohana/
・ブログ「プラダーウィリー症候群(Prader-Willi Syndrome)の情報のメモ」(レビュー/3月16日)
http://d.hatena.ne.jp/prader-willi/20130316
・『美術手帖』4月号 ART NAVI(プレビュー/3月18日)
・『GALLERY 4月号』「NEW GALLERY特集(P.101)」(プレビュー/4月1日)
・ブログ「アートのある暮らし allier style」(レビュー/4月6日)
http://allierstyle.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
・ブログ「よしもと芸人 おかけんた・ブログ」(レビュー/5月1日)
http://nicevoice.laff.jp/blog/2013/05/post-64bb.html
・『美樂舎 会報第258号』「丹伸巨のコレクター日記」(レビュー/5月7日)
美樂舎HP:http://bigakusya.com/
2013-05-16伊吹拓展を振り返って

まず、この伊吹拓展はttk最初の展覧会であること。今後ttkが認知されていくにつれて、この展覧会によってギャラリーのイメージの半分は確実に形成されていく、ただの1回目では止まらない非常に重要なものでした。そして、伊吹さんにとっても、本格的に当展の出品作品を制作し始めた時期にギャラリー空間が出来上がっていないという(最終的には作品搬入の当日に引き渡し完了)、あくまでもギャラリー空間の完成予想のイメージのみで作品の構成を考えなければならなかった稀有な状況の中で完成した展覧会でした。
伊吹さんにとっては、こういう特殊な環境の中で、自分自身のこれまで積み重ねてきた表現から次への新たな展開を見せようと意気込んでいただき、それが明確な形となって当展の展示構成に現れたと、私自身強く自負しております。これまで感性による世界観を抽象絵画というフォーマットに描き続けてきた伊吹さんでしたが、今回は特にホワイトキューブのスペースに並んだ3点の横長の大作と、メインイメージになった100号スクエアの作品に、次の展開を示唆させる表現がはっきりと見られました。
それは明確な意識を持って画面上に刻まれた強い筆致と、画面に押し込められた数多くの要素たち。筆致の強弱、多様な色彩、かたち、更には表面上のマチエールと、これまでの伊吹さんの作品には無かった、膨大な情報量としてのディティールでもって画面上を埋め尽くすことを意図した作品群が提示されました。
これら当展のメインというべき4作品の特徴は、これまでの伊吹さんの作品に頻繁に見られた心象的とされるイメージや空間的表現ともいえる描写から、いかに絵画、画面というプリミティブな概念に向き合っていくかという、彼の強い意志が垣間見られるものでした。解釈によっては、これまでの鑑賞者が介入する余地の大きかった画面から、自分自身の世界へ没入していくような様もあり、時には鑑賞者をも突き放すかのような冷たさも感じられました。更に、彼の自発的なストロークや数々のディティールを過剰なほどに画面上に入れ込むことによって、逆にオールオーヴァーなイメージは影を潜めて、限られた画面上でいかに自らの多様な要素をコンポジションしていくかが、伊吹さんの今回の大きな目的であり成果だったように思えます。

そのプロセスが概念的に伝わるという点で効果的だったものが、奥の和室にあったワーク・イン・プログレスの作品でした。6畳の和室に仰向けに置いた巨大なキャンバスに、最終的に会期中4回の重ね塗りをおこない、実際の作品が出来上がるプロセスを垣間見せるものでした。しかしながら、この試みは公開制作としてはおこなわず、お客さんが帰られた夜に加筆はおこなわれ、油の匂いが充満し表面が全く乾いていないみずみずしい画面が、翌日に突然現れるという状況を幾度と見せることになりました。行為としてのプロセスが決して具体的な様では見られない、あくまでも鑑賞者の想像の中で新しい画面が塗り重ねられることによって、鑑賞者の関心はより画面の方に集中し、油が乾いていく時間経過の中で細部が徐々に形成されていく感覚にも、絵画としての純粋なプロセスが強調されていくものとなりました。更にこの作品には、伊吹さんがこの1ヶ月半の会期の中で此花の町の雰囲気に触れ、その印象が自然に作品へと反映されていった、サイトスペシフィックな要素が予想以上に強かったこともここに書き加えておきます。
改めましてこの伊吹展では、伊吹さん自身の「絵画」そのものへの意識の強まりと共に、ttkとしましても、現代の絵画における本質というものに、私自身を含めて多くの方々への関心の誘導とその必要性を訴え、それらが明確に打ち出せた内容となったと思います。当展のテキストにも書かせていただきましたが、「あえて絵画そのものの概念や本質についてじっくりと考える機会になれば」の通りに、お越しいただいた方々からもそのような機会となったとの声を多数いただきました。ホワイトキューブと和室、二つの展示室の対比から、画面上に具体的なイメージが存在しない本来の「抽象絵画」としての存在をより一層強調させることで、純粋な絵画性を多くの方々に強く印象付けることができ、伊吹さんの従来からのイメージの転換にも、そしてttkのブランドイメージの創出にも意義のある展覧会であったと思います。
最後になりましたが、ttk最初の展覧会として、大変多くのみなさまにご来廊いただきましたこと、心より感謝申し上げます。そして、これからの伊吹さんの更なる展開にもぜひご期待ください。
